コラム

覆面記者日記①-2008年冬の「あいりん地区」パート1

• 2010/05/02

OSAKA(MRB.ne.jp)2010-05-03, 2008年9月15日に発生した「リーマン・ショック」以降、静脈物流の世界は一変した。急斜面を滑り落ちるように金属スクラップ相場は暴落し、それまでバブルに浮かれていた問屋の経営環境も著しく悪化した。上半期に稼いだ利益の多くは損失穴埋めへと消え、暴落の渦に巻き込まれたブローカー(中国向け輸出)の中には、忽然と消息を絶つ者もいた。
 「朝から携帯電話が鳴りっぱなしなんだ」ある輸出業者・仕入れ担当は、顔色を曇らせながら私に言った。2008年10月頃のことだ。「もう何年も取引していないような業者や、仲間からも電話がかかってくる…。開口一番、『買ってくれ』、『助けてくれって』って。でもな…」彼は眉間に皺を寄せ、首を大きく振った。「こっちだって人を助けている余裕なんかない!今は‘物’を持っているところが大損する局面なんだ!!」

 ■2008年12月。私は、静脈物流の源流、「あいりん地区」(大阪府西成区)にいた

 私の目の前を大型の雑種犬が走り去っていく。一定の速度を保ちながら、軽快なリズムを刻み、人々の間を迷いのない足取りで縫うようにして進んでいく。犬がどこに向かおうとしているのかが気になり、しばらく後ろ姿を見送った。
 記者である私の方はというと、一体何を取材しようかと途方に暮れていた。特ダネを求める記者の嗅覚に導かれて「あいりん地区」にやって来た―と言えばかっこいいが、今のところはまだ、散乱する汚物から発生した腐臭しか私の嗅覚を刺激していない。
 
 ▼しばらく所在なげに歩いていると、道路脇でブラウン管テレビを熱心に解体する老人の姿が目に留まった。老人は慣れた手つきでテレビを分解し、中から偏光ヨークを取り出し、銅線をペンチでむしり取っていた。
 私は老人に近寄り、彼が作業の手を休めた瞬間を見計らって声を掛けた。「相場が暴落したから、解体しててもあまり面白くないでしょう?」
 老人は私の問いかけに首を振り、どこか遠くを見つめるように目を細めながら答えた。「ピカ線がキロ700円以上で売れていた時が、つい最近のことやけど懐かしく思うわ。ワシら生きていくためにはこれしかない…。あんたもいらん家電とかあったら持ってきぃや。タダで引き取ったるからな」
 老人との会話中、終始、パイプ椅子に座った強面の中年男性が、サングラス越しに鋭い視線を私に向かって投げかけている。突き刺さるような視線を左頬に感じつつ、老人に礼を言ってその場を足早に去った。確かに、ダークスーツの上に黒のコートを着込んだ私は、怪しい人間以外の何物でもない。
                    
 ▼特に当てがあった訳ではないが、何か予想外のことが私の眼前で巻き起こるんじゃないか、という予感がした。私はこの時、20代に終わりを告げ、30歳になっていた。まだ‘若気の至りの残り香’のようなものがあったのだろう、恐怖心よりも好奇心の方がすべてにおいて勝っていた。

 ■「低迷する今の相場では‘ドヤ’にも泊まれん」

 老人に教えてもらった近くの二次問屋を訪ねてみた。ヤード内には、ギロチンC材(スチール棚など)を中心にして、ビス付きサッシ、給湯器、エアコンなどの雑多なスクラップがバッカンに保管されていた。ヤード面積との対比で、一様に在庫が薄いのが見て取れた。ヤード奥で在庫整理していた代表の表情も、予想通り冴えなかった。
 「うちは鉄スクラップがメインやから苦しいわ。逆有償はもちろん、タダでも末端のお客さんは持って来んよ。『それなら産廃に回す』言われんのが‘オチ’や」代表は深い溜め息をもらしながら言った。私と代表の周囲・半径2メートルのエリアは、見る見るうちに悲観的な空気で満たされていった。もちろんこの時期に、前向きで楽観的な問屋さんを探すのは極めて難しい。
 代表は話を続けた。「ギロCの売りが4,000円の時にしかたなく3,000円で仕切ったんやけど、正直きつかったわ。相場もちょっと上向いてきたし、今は踏ん張って耐え忍んでいくしかないんやろな」
 
 ▼しばらくすると、段ボール古紙をリヤカーに積んだ初老の男性がヤード内に入ってきた。おそらく常連なのだろう、手慣れた動作で台貫(秤)の上にリヤカーを載せ、従業員と談笑しながら計量を待っている。
 初老の男性は代表から千円札と小銭数枚を受け取り、何やら笑みを浮かべながらボソボソと呟き、そのまま空のリヤカーを引っ張って堺筋通りの方に曲がった。
 「段ボール古紙の入りも悪くなってきたわ」代表は力なくつぶやく。ギロチンC材を中心とする鉄スクラップの入荷は前年の3割まで激減し(7割減!)、比較的安定して発生する段ボール古紙も1割ほど減ったという。「景気が悪いから、商店街の店主も商品が売れん言ぅとったわ。商品が売れんかったら当然、梱包用の段ボールも出てこんわな」
 代表によると、1台のリヤカーに積める段ボールは約200キロ前後だ。ということは200キロ持ち込んだ場合でも、仕入れ相場9円で計算して、合計1,800円しか受け取れないことになる。
 「1日中集めて1,800円じぁ、食費で全部消えていくやろな…これやと‘ドヤ’(簡易宿泊所)にも泊まれへんのとちゃうか」代表は、何かを確認するように2回ほど頷いた。