コラム

メタル庵 -5- 自由からの逃走

• 2010/07/15

 学生時代に何故か「自由とは何か」いうテーマを突き詰めて考えた時期があり随分と本を読みました。結局よく 分からなくなったというか、世俗的な諸々のことの方が楽しくなり途中であきらめたのですが、エーリッヒフロムの「自由からの逃走」から受けた感銘は今でも よく覚えています。簡単に言えば「近代の歴史は自由を求めて戦ってきた歴史でもあるが、実は人間には全て自分で考え決断するよりも、誰かが決めてくれたこ とに従う方が楽であると思う傾向がある。そこに独裁者ヒットラーを受け入れた心理的土壌がある」という内容がとても新鮮に感じられました。

  相場の世界でも不安と欲望の狭間で何も決められなくなることがあります。これをマネージする為には自分なりのトレードルールを作り、それを厳格に実行するこ とが絶対に必要です。ルールを独裁者にすればいいのです。しかし、自分が作ったルールですから独裁者にしきれず、ルールは守らず、更には頻繁に変更しがち です。

  そこで次にはその時々の感情が入り込まないように、過去のデータを分析して「最適」な自動売買システムを作ります。商品の現物取引 の世界では無理ですが先物や株などでは急速に普及しているようです。ただ、リスクの限定された裁定取引でのプログラムトレーディングや現物株式ポートフォリオ見合いに指数先物を売るヘッジ取引(ポートフォリオインシュランス)等では有効かと思われますが、アウトライトな売り買いでは中々上手くいかないで しょう。

  これも「自由からの逃走」の一種ですが、いかなる状況でも通用するシステムトレードなどあり得ないように思います。もしそのシス テムがある状況では有効だとしても、同じシステムを使い出す人がある一定以上多くなればそのシステムの有効性は急速に減少する筈です。
その時々の 流動性も事前には予測困難です。流動性を無視した注文は一瞬にして値を飛ばす可能性があります。
システムと言う独裁者に頼って自分で判断する自由を放棄すると確かに楽ですが、思わぬ損害を被るかもしれません。
LTCM初め数多くのファンドの破綻も数理過信の結果ではないでしょうか。

  相場も人間の様々な行為の一つです。合理非合理渾然一体の人間そのものを完全に解析できない限り、完璧なシステムの創造は不可能と思いますが、それでも弱い 自分よりは遥かにましだという理屈も成り立ちます。従って、その先は其々の人生観、価値観、相場に対する見方が決めることかもしれません。
自由から逃走し素晴らしい独裁者に巡り合えるか、自由の中で苦しみつつ自分の技を磨いていくか、尽きない議論です。

閑話休題。
  自由と言えば、新しいことをどんどん始める人もいれば、既得権を守ることに一生懸命な人もいます。新しいことを目指せば、既存の勢力との軋轢は避けられません。新 旧の自由な戦いです。当然、その戦いには一定のルールとマナーが必要でしょうが、そのルールさえも時代の変化の中で変わっていくかもしれません。
長い目で見ればそうしたことが一体となって社会の活力になっていく筈です。勝者を決めるのはマーケットです。マーケットでより大きな存在価値を持てるかどうかで す。そのためにも存在機能の向上を目指して競争出来る社会であって欲しいと思います。

  いつの時代でも最近の青年は夢がないとか、独立心が ないとか言われますが、人の真似でも何でも頑張っていつか老人を追い抜いて欲しいものです。大体、人間生まれたときから親を真似、先生を真似て、先輩の技 を盗んで育っていくものですから。もっともどこかの国のように何でもかんでもでは困ったものですが・・・。

2010.7.15 翁草